東京外国語大学 大学院総合国際学研究科
言語文化コース 日英実践通訳・翻訳

column

学生コラム - メッセージ・コラム


青山学院大学附属外国語ラボラトリー主催
公開セミナーから

 10月1日に青山学院大学附属外国語ラボラトリー主催 公開セミナー「大学における通訳・翻訳教育を考えるーその理論と実践の現場から」に参加しました。そのときに発表者4人のお一人であった新崎隆子先生の「コミュニケーションのための気づきを促す通訳教育」から、先生がお話されたことの2点について、このコラムに書くことをご了承いただきましたので、ぜひ皆さんと共有したく思いました。

 まず、お伝えしたいことの一つ目は日英通訳についてです。日本語コミュニケーションの特色が色濃くあらわれている発言の日英通訳をどう扱うかという具体的な例の提起がありました。まず、お伝えしたいことの一つ目は日英通訳についてです。日本語コミュニケーションの特色が色濃くあらわれている発言の日英通訳をどう扱うかという具体的な例の提起がありました。

 10月1日、朝日新聞一面に出ていた記事の「豊洲盛り土なし」に出ていた小池百合子都知事の発言です。小池知事が9月30日の記者会見で「責任者を特定することは難しい」とする調査結果を発表したことについてです

 この結論に小池知事は「いつ誰が、という点は、ピンポイントで指し示すのは難しい」としたうえで、「流れの中で、空気の中で進んでいった」として「それぞれの段階で責務が生じると」述べたのですが、発言の「流れの中で、空気の中で進んでいった」の部分の日英訳はどうなるか?と、会場にいた三名の参加者に新崎先生が問うた結果を示します。

 ちなみに、この部分「流れの中で、空気の中で進んでいった」は、10月2日の朝の報道番組の中でもとりあげられており、「犯人探しをしない」という責任は問いたくない知事の気持ちをあらわし「自然現象のようにこうなりました」と話すのは日本語の特徴が出ているとコメントしている識者もありました。

 

A
I think we made kind of tacit agreement (あるいはdecision) from time to time as we moved on.(あるいはcarried on our business)

B
There was a kind of understanding among everyone that everything was going OK just the way it was.

C
Things went on in the flow of the time. (あるいはin the mood of the time).

 三者三様の訳になりましたが、こういう場合学生は、どれが正解なのかと一つに決めたがるという先生のご指摘がありました。どれも正しいというのが先生のご指摘です。

 もう一つ、皆さんにお伝えしたいのが通訳を介したコミュニケーションについて誤解として指摘された3点についてです。

 一般の人の通訳という仕事に対する認識を高めていかねばならない。その責務の一端をみなさんも担っている、ということを考えながら日ごろ、勉学に励んでほしいと思います。

2016年10月3日
鶴田知佳子

同時通訳の方略について思うこと


 2月12日、最後の授業でオバマ大統領就任演説を素材に、皆で同時通訳の方略について考えました。まず冒頭で皆さんに実際に一度音声にあわせて同時通訳をしてもらったあとで、ペアで互いにフィードバック、その後スクリプトをみて同時通訳が難しいのはどういう箇所かを考えたうえで、実際に現場で流れた同時通訳を聞いてもらいました。

 非常に密度の濃い授業でしたが、いろいろなことが確認できたと思います。 今回は特に方略を考えてみようということにフォーカスします。

 翌水曜日にオバマ大統領2期目の最初の一般教書演説を担当しました。準備のしかたとしては、担当する通訳場面に必要な専門知識、聖書や独立宣言、またこの就任演説の場合にはキング牧師の記念日にあたっていた、ということからキング牧師の演説をチェックしておく必要があったとおもいます。さらに、必要なのは直前の報道情報です。

 私とパートナーが事前にやったことは、それぞれアイパッドとアイフォーンで大統領一般教書演説、とキーワードをいれてニュースサイトを検索することでした。すると、キーワードや、一部抜粋として出てきた情報がありましたので、それをもとに訳出を考えられるところは考えました。

 また今度は、直前に原稿が出ました。11時5分前に原稿が出て演説が実際に始まったのが11時10分過ぎくらいでしたが、8枚ある原稿をパートナーと二人で奇数、偶数でわけました。

 この時も思いましたが、原稿があると、かえって細かいところに気を取られてしまって、全体の大きなところがみえなくなるということもあります。

 たとえば、1ページ目の原稿で grit とあまり耳慣れない単語が使われているところでまず、ひっかかりましたが(ここは電子辞書をひきました。「気概」、「気迫」という意味で使われているとわかりました)grinding war, grueling recessionなどというあとに続くことばで、gr が使われているからであろうとわかりました。

 よく通訳者どうしでお互いにいうのですが、原稿があるからといって原稿をみると、かえって字面にひきずられて単語置き換えの訳をしてしまい、耳で聞いてわかりやすい訳出ができなくなってしまう、情報密度が高い原稿をもとにしているスピーチの場合には、「耳で情報をとる」「内容を伝えようと言う気持ちで」「自分で語る」ことを中心にしたほうがかえって良い結果になります。どうしても原稿を「読む」、と自然な声の調子や語りかけるような演説、「伝わる」演説になりません。このように現場で感じている「感覚」についても、授業で考えられるというのも大学院ならではの利点です。

 耳をどう使うのか。意味をとるのは目でチャンクを取るのではなくて、耳を使ってチャンクをとるのがわかりやすくするコツです。さらに、音声で情報を伝えるときには自分の声で、アクセント、イントネーションを駆使してわかりやすく伝えましょう。その伝え方、オリジナルでの口調がおおいに参考になります。そのためにも、「耳」が必要です。

 耳を使わざるを得ないと意味の単位で区切ることができる、目で原稿(音ではなくて平板な原稿)だけを追っていると、区切りかたが柔軟にできません。

 ここがまさに、現場で通訳者が感じている「原稿を追うよりも、耳で情報をとった方がうまくいく」ということに通じると思います。

 もうひとつ、役割語をつかった修士論文を考えている人が次の学年には何名かいますが、文末表現で役割語といえるかもしれないのが「で、あります」という「大統領調」です。安倍総理の所信表明演説でも使われています。

 以下を参照してください。
 http://www.kantei.go.jp/jp/headline/183shoshinhyomei.html

 外交は、単に周辺諸国との二国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰(ふかん)して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった、基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開していくのが基本であります。今ここにある危機を突破し、未来を切り拓いていく覚悟を共に分かち合おうではありませんか。

 といった調子です。「大統領口調」文末と名付けてもよいかもしれません。

 役割語の便利なところは、これを使うと一気にそれだけで「それらしく」聞こえることです。

 こういうのも「現場で覚える知恵」といえると思います。要するに場数をこなしていくうちに、「こうすればうまくいく」と体験できます。

 今学期、講演にきてくださったスポーツ通訳者の中曽根俊さんもおっしゃっていました。 「どんなすぐれた先生も、経験だけはおしえられない」

 まさにそのとおりで、経験を実習の場を通じて重ねて行こう、というのが「同時通訳の世界」の主眼でした。

 また、「目、耳と口のバランス」をどうとるのか、これは理論化が難しいところではありますが、ある程度のことは言えそうな気もします。

 関係代名詞の前で意味の区切りがあるので、そこでいったん切る。ぶつ切りにならないように、そのあと「〜ので」と続ける、というのも、テクニックといえるかもしれないです。

 池上彰さんの著書「伝える力」にありますが、英語の関係代名詞は日本語の「話しことば」と通じるものがあるそうです。日本語の話しことばは、だいたいが考えながら情報を付け加えていくので、たとえば「昨日の授業で同時通訳について話しをしたのだけど、そのとき生徒から質問があって、そう、その生徒と言うのは非常に熱心で日頃の成績もよい子なんだけど……」といった調子で文章が続いていきます。話しことばの特性を活かして、うまく「つなぎことば」を使って続けていくのが、耳で聞いていてわかりやすくするコツかもしれません。

 本番では、予測をきかせることが大事ですし、内容把握にあたってはチャンクを短めにとることが必要となっていきます。私が実際に通訳をしたときにどのようになっていたのか、実例をみましょう。

 必ずというわけではありませんが、thatなど節が来る前で一度チャンクを取り、訳出する。

(原文) But we have always understood that when times change, so must we.

(鶴田) 私たちは常に理解してきました。時代が変化をしていく時には、私たちも変化しなくてはならないということ。

(原文) For we, the people, understand that our country cannot succeed when a shrinking few do very well and a growing many barely make it.

(鶴田) 我々は、国民は理解しています。この国は成功するのはわずかな人たちだけでは無理なのです。たくさんの人たちが上手くいっていないときに、わずかな人たちだけが成功するというのではこの国はやっていけません。

 2つ目の例のように、授業でよく指摘しているように前に出てきた動詞も適宜貼り付けることが実際に確認できます。

 動詞は、文章を完結させるためにどうしても必要ですので覚えておく必要があります。 あるいは、当たり障りのない動詞、たとえば「考えます」「であります」で文章を締めくくるということをします。

 方略に関して「即応方略」「遅延方略」「FIFO(First In First Out)」「FILO(First In Last Out)」などがあります。

 実際に自分で振り返ってみますと、両方を使っています。基本は即応ですが、送れそうになったところでは耳で情報をとって圧縮して出すなどの工夫をしています。

 今回の就任演説のように練られた内容のつまったスピーチの通訳においては、順送りにしてチャンクを短めにした方が、記憶への負担が少なくてすみます。たしかに、以前に短い文章の場合には動詞は保持しておく、というアドバイスをしました。

 あるいは先に指摘したように文章を途中で切ってしまって、あらたに文をたてた場合にも文末を締めくくるために、一度前で出した動詞を「貼り付ける」必要があります。

 通訳の仕事は常にチャンスは一回ずつ、繰り返して同じスピーチを通訳することはできないです。ですので、このように知恵を抽出して習得する、スキルとはすべからくそうであると思いますが、考察を加えるだけではなくて身に着くまで、繰り返し習熟することが大事なのです。

 そのためにも、実習は貴重な機会です。

 これからも実習の機会を学生のみなさんが真剣に受け止めていくことを願っています。

2013年2月15日
鶴田知佳子

聞き取れる音、聞き取れない音


 夏本番。一年に一度の七夕は過ぎたが、一年に一度大体このくらいの時期に必ず、集まっている仲間内では「サミット」と称している放送通訳者の集まりがある。「サミット」と称している理由は主要言語のかなりの部分をこの4名でカバーしているから。美味しいものを食べながら各自の日頃の通訳にかける熱い思いを語っている。

 この日の集まりも示唆に富むことがたくさんあった。この日、自然と話題が集まったのは「聞き取れる音、聞き取れない音」。それぞれ、日ごろまず音が聞き取れないことには通訳の仕事がはじまらないことから、音には人一倍敏感なはずで日常的に周りの人たちの音に対する感度についても、さまざまな観察がされている。いわく、「音のなかで聞こえないのは子音よりはむしろ母音。二重母音の微妙な違いは知識があるから聞こえるけれど、そうでないと違いが聞き取れていない」。ある通訳者は「おなじ親から生まれている兄弟でも語学への適性、外国語の音が聞き取れるかという能力は違う」と説き、「赤ちゃんがいちばん最初におぼえるのはいちばん単純な『あ』の音」、「音が聞こえるのは音楽的な耳があるかどうか」などとする通訳者もいるなど、様々な説が口にされて、聞いているのも非常に興味深かった。

 結局は、音を聞くときは文脈情報や、ニュースであればその背景知識などを多く補って聞いているので、適切な聞き取りができていることを痛感する。いくつか、例をあげよう。何も原稿もなく、何がでてくるかわからないニュースの生同時通訳の場合、最初に聞いたときは「どっちなのだろう」という迷いがあるときもあるが、結局は背景知識によってどちらが正しいのかという選択を瞬時に行っている。

 アラファト議長がもしかしたら毒殺されたのかもしれない、という説が流れたときの放送通訳。Arafat’s medical records (アラファト氏の医療記録)の前に聞こえた単語が音では stealと聞こえたがそんなはずはない。「盗まれる」というニュースではなかった。これはsealed、つまり「封印されていた」と言うことだった。今までは、非公開とされていたのがこの疑惑が出てきたので封印をとかれて検討の対象にされたということだったのだ。

 次のユーロ金融危機についてのニュース、Euro bans と聞こえたが、 禁止措置の話は何もでてきていない。そう、ここは banks、「銀行」のはず。

 Romney 氏のattacks と聞こえたけど、大統領候補である同氏が、誰かを「攻撃」というのは十分考えられるものの、大統領選挙で大いに話題になっているのがtax、「税金」をほかの一般市民に比べて低い税率でしか払っていないのでは、ということだったので、ここは「税金」のはず。

 という具合に、やはり補って聞くことでつじつまがあう情報となるような聞き方を自然としているのだと思う。

 発音をするときにも、ちゃんと音が聞き取れているかどうかはおおいに関係していると思う。 日頃、よく私が学生に注意をしている発音は難しい音とは限らない。たとえば party の「あ」の音が perk のer の音になってしまっているのがどうにも気になる。「どうして、この区別がつかない!」と日頃より私は言い続けている。

 スピーチコンテストでも、どうしてこのいちばん単純な口を大きくあけて「あ」というだけの音がちゃんと出ないのだ、と不思議に思っているが、そもそも日本語で区別をしていない音が外国語で区別できるようにするのは、実はたいへんなことなのかもしれない。指導の方法も難しい。ただ、音の区別ができないとまず、聞き取りを正確にするには、非常な労力を要するうえ、発話をしようとするときにはもっと大変である。

 音声学の問題なのか、あるいは認知できる能力の問題なのか。いずれにしても、まずは「聞き取れる音、聞き取れない音」を自分の課題としてしっかりと認識して区別することが肝心であると思う。非常に難しいが興味深い問題である。

 興味は尽きない。通訳の仕事をしていくうえでは、まずは音が聞こえないことには通訳の仕事は始まらない。夏が終わるまでの間に外国に行く機会のある人も多いことであろう。ここはぜひ生の音に触れて「聞き取れる音」を増やしていくこととしよう。

2012年8月1日
鶴田知佳子

同時通訳のコツ


 最近、友人の通訳者と話していたことだが「年のせいか、これはもちろん知っているのに、なかなか、ことばが出てこない」ということが多くなった。情けない話だが、最近の例では日本興業銀行と聞いてIBJであるのは思い出したが、Industrial Bank of Japan であったのに、間違えてInternational Bank of Japan と言ってしまったことがあった。同時通訳であったので、訂正をする余地もなく、頭の中で「略語で言うのであった」という後悔だけが残った。あと、大学名でMARCHのひとつであるのを認識したのに、別の大学の名前を言ってしまったという笑えないミスもあった。ちょっと前の私であったらあり得ないミスではないかと思う。

 ここで考えた。本来、人間は「ふたつのことを同時にはできない」。これは真実だ。だが、今までの私の人生を考えてみると、これに逆らうようなことばかりをやってきた。

 台所のガスコンロには、欧米ではこれが普通だと思うが、30年近く前に我が家をつくったときは「珍しい」と言われたがコンロが4つ。英語で「棚上げ」にあたる言い方として、put on backburner という言い回しがあるが、文字通り優先順位を下げる場合には、コンロの後ろのほうで調理をする、というのはその通りと台所でコンロに向かうたびに思い出す。私にとって時間は惜しくて、よく「どうやって同時にいくつものことができるのか」「あなたって、ubiquitous ね」と言われてきたが、少しの時間でもどうやって同時並行でこなすことで活用できないかと、考え続けていままでやってきた。しかし、どうやらこのあたりで同時に並行していくつものタスクをこなすのは、かなり限界にきたようである。もっと若いころ、子どもたちが育ち盛りのときは4つのコンロをフル活用ということはそれがノーマルであったが、我が家流の「ニューノーマル」は、せいぜいふたつの同時使用。なので、文字通り、back burner におくというのは、先送りの意味によくそぐう状態となっている。

 と、このように日常生活でのタスク同時並行をこなす割合はライフサイクルの移行もあるのか、減ってきた。しかし、曲がりなりにも私はいまだに(本人はそう思っているが)なんとか同時通訳はできているのだ。それはどうしてか。どうやって、ふつうであるなら2つのことは同時にできないのをこなしているのか。

 同時通訳の最大のコツ、これは再三学生にも言っていることだが、「自分が話す」ということを考えることだ。聞こえてくるオリジナルは「自分の考えをまとめるうえでの参考情報」くらいに考えたほうがうまくいく。あくまでも、自分が主体で「はなす」「意味が通じることを話す」ということを、自分の音声もモニターしながら行っていく。これが同時通訳の最大のコツである。聞いている人のことをあくまで第一に考えねばならない。意味が通らないことを言っても、それは情報にはならない。

 もっともどんな場面でも、言い訳が絶対に効かないのが固有名詞、数字の間違いである。冒頭であげた私の恥ずかしいミスも、本来であれば「お詫びして訂正します」という訂正を出したいところであった。やはり限界はある。だが「同時に」情報を伝えるうえでは、どうしても限界があることを踏まえつつ、そのなかで最善を尽くすべく、今日も私は仕事に向かう。

2012年7月6日
鶴田知佳子

表現者としてー有限なる人生において履歴に凝縮されることとは


 常々私は学生に「通訳者とは表現されたもので成果が問われる」「その意味では演奏者と似ている」と言い続けてきた。通訳者は、すみからすみまで発話者の言っていることを聞かねばならない。国際会議で発言をしようというだけであれば、自分の関心のあるところだけを聞いていればよい。全部を聞かずとも自分の関心のあるところ、意見を言いたいところだけを聞けば用が足りる。しかし通訳者はそうはいかない。全体をすべて細大漏らさず聞き、言われている内容を過不足ない表現で別の言語で伝えるのが通訳者の仕事である。

 言うは易く行うは難し。「的確な表現で」「重要なことが重要であると聞こえるように伝えなさい」というコメントも、私がよく言うことである。だけどすぐに疑問の声があがるであろう。いったい、何をもって「的確」というのか、何をもって「重要である」部分だと判断を下すことができるのか。

 この件については、練習をしてすべてが解決するのか、自信をもって言いきることはできない。ただある程度、場数をこなすことでみえてくることはある。私の仲間のひとりで、帰国子女でないが立派な通訳者になっている一人は「誰でも、努力さえすればAクラスの通訳者になることはできる」と言いきっている。これは相当の努力のうえにという条件をつけねばならないが、別のある通訳エージェントも言っているように「本人が正しい方向に努力を重ねていけば、必ず一定レベル以上の通訳者にはなれる」

 だが、ここで考えてほしい。人生は残念ながら有限なのだ。どのように練習すれば効果があがるのか、スポーツの世界でも芸術の世界でも研究がすすみ、一定レベル以上の練習を積めば、ある程度以上の成果につながるということもわかっている。通訳においても同じことがいえる。ただ、ある程度以上は才能というのか、センスというのか、一歩の山をのぼるのがますます困難になってくるあたりから(富士山にたとえれば7合目くらいだろうか……)ある程度で伸び悩みする人と、さらにそのうえに登ることができる人の差がついてくるようにも思う。

 多くの同僚通訳者に接し、また学生の指導をしている現役通訳者の立場からすると、興味があるのはそこを分けるものは何なのか、ということだ。何が伸び悩みとなる壁であるのか、その壁を乗り越えるのに必要なのは何なのか。

 並はずれた体力と集中力を挙げる人も多い。それは確かにそういう気もする。体力は個人差もあると思うが、意欲や意思の強さも関係していると考えている。集中力は確かに必要である。また、ここぞというときに、本領を発揮できるようなたとえは悪いが「火事場の馬鹿力」があるかどうかも大きな分かれ目になると思う。

 あれやこれや、通訳者というのははたして自分の表現が正しかったのか、この表現が本当に適切であったのかと自分のかかわった仕事について、あれこれと考えを巡らすのが常である。私もそのご多分にもれず、こだわりたい表現にはとことんこだわりたい。そのこだわっている単語とは難しいものとは限らない。

 たまたま、今日同僚の先生からのご依頼で、学内に講演においでになった某大使の講演の通訳をおこなった。そのときにその地域ではgood scholarship を提供しているというのがあって、実に難しいと思ったのは、このgood をどう表現するか、であった。考えた。その末に出した結論。「充実した奨学金」。これではないか、と思って気付いたときはちょっと嬉しかったのだが、残念。パワーポイントにはあったのに、大使は肝心のこのフレーズを時間の関係でいわずに講演を終えられた。通訳者はスピーカーの言っていないことをいうのはできないのである。

 表現者として、ということでは唐突な感じもするかもしれないが、すぐれた演奏など芸術にふれるのも表現力をあげるのに役立つのではないかと思う。

 最近、体験した感動の生の音楽のことについて最後にふれたい。5月21日に明治記念館においておこなわれた演奏会でのこと。宮城道雄作曲の「春の海」が、馬場信子さんの編曲によってパーカッションと箏の演奏において、生き生きとした違った印象の演奏によみがえった。何度も聞いてきた同じ曲でも、解釈でこうも違うのかと新鮮な驚きであった。さらに驚いたのが、Gymnopedie 第一番。おそらくは誰でも知っている、この有名なメロディーを、箏と十七弦両方を両手で演奏、しかもパーカッションつき。実にみごとで、堪能した。芸術の力はじわじわと聞き手に浸透する。余談ながら、パーカッション奏者がもともとは法学部出身で、その後、バークリー音楽大学にすすんだという履歴の持ち主であったのも私の目をひいた。

 人生は有限。したいことをするのに、時間は限られている。どういう理由であるのかはわからないが、もともと志した道と違う道に進む勇気をもち、さらにその道でこういうすぐれた成果をあげている芸術家に心からの敬意を表した晩でもあった。

2012年5月26日
鶴田知佳子

表現者として


 学生時代、春休みがいちばん、ゆっくりと休めたことを思い出します。もっとも今は就職活動も私のころよりもずっと早まっているため、就職を考えている人にとっては春休みがいちばん大変なときなのかもしれません。いま、秋入学の議論もあるものの、日本では学年の始まりが4月であるため、学年と学年の間であるこの時期が過ぎた学年を振り返り、次の学年への準備をするいちばんよい時期であることに変わりはありません。

 その春休み、あと一カ月ほどですが、そのなかで皆さんにやってもらいたいと提案したいことが三つあります。これは、「通訳者は表現者である」という前提から、ぜひ少しまとまった時間がとれるいまのような時期に考えてもらいたいことです。今後の皆さんの人生においても、役立つことではないかと思います。

 通訳者は「たくさんの表現を持っているべき」。これはどの先生も必ず言うことでしょう。いざというときに言葉につまってしまったのでは、せっかく伝えたい内容があってもうまく伝えることはできません。「表現力を豊かにするにはどうしたらよいでしょうか」とよく聞かれます。答えは、「本を多く読むこと」であると思います。

 せっかくのまとまった時間ですので、なるべく多く本を読んでください。ジャンルは問いません。文学、おおいに結構です。あるいは歴史書を紐解くのもよいでしょう。たまたまですが、今日3月11日の日経新聞のコラム春秋にジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」への言及があり、「歴史とはなにか、と問われたらその答えは複雑性」というところが引用されていました。ちょうどいま、私もこの本を読み返していたのでした。ついでに言うと、Embracing Defeat を「敗北を抱きしめて」という訳がよいのか、という議論はありましたが、日本がどのように敗北を「受け入れて」「受け止めて」、さらにそれを超えていったのかというのを表すのにembracing にぴったりあたる日本語がないなか、あえて感覚的に聞こえかねない「抱きしめて」とすることで、よく内容を表していると思います。一つの表現には一つの訳語で必ずしも言い表せないのですが、なにか自分がいままでに授業のなかでやったこと、あるいは自分の練習でやったことのなかで、こだわりのある単語や表現がある場合、常にその表現はどのようにしたら英語、あるいは日本語での訳語がぴったりくるものがあるのだろうか、というのを考え続けていると、ある日突然ひらめくことがあります。

 しかし「ひらめきは急に降ってくる」と言っても、何もないところから降ってくるのではなくて、降ってくるためにはそのもとをつくる何かを仕入れていなくてはなりません。その仕入れにあたるものが読書です。私が通訳という仕事を気にいっている理由は多くありますが、ひとつの理由は「ある日どこかで、何かのためになるということを考えていたのではない、何気ない記憶がよみがえって自分を助けてくれること」にあります。それは体験であったり、誰かのことばの断片であったりしますが、本の一節であることもまた多いのです。ぜひ、自分の心に刻まれる記憶をたくさん作ってほしいと思います。

 通訳の仕事をしていると何気なく、心に刻まれる記憶となる出会いに恵まれることがあります。3月9日のことです。神奈川県公立高校の社会科見学のため、日本ユダヤ教団の訪問の際の通訳を依頼されました。かつて勤務していた目白大学の英語学科助手であった方が美術の高校教員になり赴任した高校で、たまたま社会科見学を考えていて通訳者が必要という相談を受け、私を推薦してくれたものです。

 出かけたところ、ラビはなんとイタリアのシチリア出身でした。シチリア出身、ローマで勉強され、その後ニューヨークに10年以上住み、ラビの資格をとったというのです。ユダヤ教について事前に本を何冊か読み、あらためて勉強してから、この日の仕事にのぞみましたが、実際に話を伺ってよく理解できました。すでに知られているようにシャバトという土曜日はいっさいの仕事を休むこと、そのいっさいの仕事をしないという意義は、「一週間に一回信仰と社会のことを考える日を設ける」ことにあるのだそうです。他にもトーラというユダヤ教の律法で生活のすべてにおける規則が定められていること、食事の制約もさまざまにあって四本足の動物では蹄が割れている(偶蹄類)反芻をする動物しか食さないこと、魚はうろことヒレがあるものしか食べないことなど、知りました。また命の象徴である乳と死の象徴である肉を一緒に料理することはできません。となると余談ながら、チーズバーガーも、肉のクリームシチューも、エビのてんぷらも、豚の生姜焼きも食べられないので、私にはとてもついていけませんが、シャバトに入る前の金曜日夕方の式、あるいはシャバト当日朝の式は一般の人にも開かれているので、興味があれば来て下さいとお誘いを受け、一度訪ねようと思っています。

 二番目は、虚心坦懐に自分のおこなった通訳の反省をするということです。なかなか、自分の吹き込んだ通訳を聞き直すのは勇気がいりますが、これを繰り返して、自分で自分のどこが改善が必要なのか、見つけていくという作業が通訳者としての自分を高めていくすべての作業の基本であると思います。

 通訳者とは声を使う仕事ですので、反省のなかには自分の話し方、大事な部分が大事に聞こえるように適切な強調がされているのか、ということも入りますし、よく言うことですが、フィラーが多くないか、聞き手に対して聞きやすいという配慮がされている話し方であるかといった「話し方の基本」にかかわることもそうです。何よりも、聞く人がこの人の通訳はもっと聞いていたい、と思ってくれるような「聞きやすさ」「心地よさ」にもつながるくらい、聞きやすいものでなくてはなりません。そうするためには、どこを改善できるのか。授業で取り上げてすぐのときは、オリジナルの原稿が手元にあるので自分はそれを見てわかったつもりになりがちです。直訳していても、これで伝わっているではないかと思ってしまうかもしれません。ですが、時間をおいて聞き直してみる。すでに内容はある程度忘却のかなたになったところで、一人の聴衆として改めて聞き直してみる。そうすると、いままで気づかなかったところで、実はこう改善できるというところに気づくでしょう。学生である間は、授業で教員あるいはお互い同士のpeer review で改善点を指摘してもらえるというありがたい立場におかれています。ですが、教員の指摘や同級生の指摘も全部を網羅できているのではありませんし、その都度、何が適切な表現なのかというのは変わってきます。自分で気づくことができるようになる、これが最大の目標です。

 三番目は、文章を書くことです。通訳者は声を使う、すなわち話すのが仕事であるといったばかりで逆説的に聞こえますが、上で述べた読書のすすめとともに、文章を書くというのもまた、表現者としてのスキルを高めるためには通訳者に欠かせないことであると思います。口はばったいようですが、かつての少女時代の私は作家になりたかったのです。非常に引っ込み思案で人前で話をすることが大の苦手であって、答えがわかっていても、授業中にあてられると極端な上がり症で答えをいうこともできなかった私、本を読むのが好きで、ちらしの裏に物語を書いたりして時間を過ごすのが常であった私、小学校低学年までの私は作家になりたいと思っていました。結局は作家にはなりませんでしたが、文章を書くということは何語であれ、そのつど自分の感じたこと、苦しいこと、希望を書きとめるという作業を常に続けてきました。案外、これが表現者としての通訳者になったときに役に立った気がします。本コースでは、報告書のかたちで文章を書いてもらうことを求めることも多いですが、これもあるいはみなさんの表現者としての役に立っているかもしれません。学期の終わりにあたって、次の学期のはじまりにむかって自分で報告書を書くつもりで、また抱負を述べるつもりで、この際に文章をまとめてみるのもよいのではないかと思います。書いておく、これは記録をするということで自分のいまの位置づけを再度確認することになります。

 充実した春休みをお過ごしください。

 美しい桜が咲くころ、新学期でまたお会いしましょう。

2012年3月11日
鶴田知佳子

視点をグローバルに


 新しい年を迎えました。新春にあたり、思ったことをいくつか記します。

 去年から今年にかけて、忘年会や新年会の席で共通して述べられたことのひとつが、絆を大切にしよう、今年は復活の年にしようというものでした。そういうときに、ヒントになることばが「視点をグローバルに」です。

 1月10日付日経新聞の連載「C世代駆ける」の今日の記事が「ニッポン好き 進化」「文化を循環、伝統再発見」でした。C世代は1月8日付日経新聞の説明によると、ここ数年アメリカで使われ始めたことばであり、年齢は限定しないが基本的に若者、Cとは Computer (パソコン)、Connected(接続)、Community(共同体)、Change(変化)、Create (創造)などを意味するものだそうです。

 日本の文化伝統が好きな若者はC世代、海外からくるC世代の若者を受け入れるのも、やはり日本のC世代ということです。

 前にもこのコラムで取り上げさせていただいた東京藝術大学の宮田亮平学長のC世代に対する期待として、次のようなことばが引用されています。「日本の古い文化を体験することで新しい物が生まれる。ジャンルや国境を越えて新しい物を生み出してほしい」

 このあと、日経新聞のこの記事は「視点をグローバルにすると日本固有の価値が際立つ。国内外のC世代が国や企業より一足早くそれに気付き始めている」と続けています。

 私もまったく同感です。日本以外にアメリカ、アジア、ヨーロッパに住んで外から日本を眺めた経験のある日本人のひとりとして、外から見た場合のほうが日本の価値がよくわかるものだと思わされた経験がいくつもあります。アメリカの広い大きな家、セントラルヒーティングの完全冷暖房完備、リンカーンに代表されるような大きな車、それと比べると日本の家はいかにも狭く、冷暖房も個別の部屋別、小型車でないと狭い路地には対応できない、などなど、日本はなんだかとても貧しいような気がしたこともありました。

 ですが、最近は漫画やアニメだけでなくて生活・伝統文化や身の回りの品にいたるまで、日本発の道具などにも関心が高まり、ファンがいるのだとか。皆さんは「青い鳥」の話を覚えていますか。探していた「幸福の青い鳥」は遠い地にいるのではなく、実は家のすぐそばにいた、という寓話です。自分の大切なものについても、同じことがいえるような気がしてなりません。今は「世界のお天気」を衛星放送でやっているような時代です。グローバルな視点をもって日本文化を見つめ直す。今年はそんな年にしたいと思いを新たにしました。

 さらにいえば、日本文化を見つめ直した結果、日本の事象や考え方を海外に紹介することに力を入れていければと考えています。本学の修士論文、修士修了研究でも、そのような内容が取り上げられ、日本から世界に発信していくという気概が感じられることを嬉しく思っています。

2012年1月11日
鶴田知佳子

藝大アーツ イン 東京丸の内


 2011年10月25日から30日まで、東京藝術大学と三菱地所株式会社の共催として、「藝大アーツイン東京丸の内」が、丸ビルにおいて開催されました。

 昨年度から東京藝術大の瀧井敬子教授より、本学の本コースはこのイベントにおいて語学の面より連携してお手伝いができないだろうかということから、今年、内藤先生のご指導のもと、「翻訳実務」の授業においてパンフレットの翻訳をおこないました。

 このようなご縁でオープニングの日に、内藤先生ともどもお伺いしました。

 オープニングの企画としておこなわれた、東京藝術大学宮田亮平学長と長谷川閑史経済同友会代表幹事のスペシャル対談「元気!FOR JAPAN」を拝聴しました。

 多岐にわたる対談で大変興味深かったのですが、特に関心をもったのは「人間の精神に影響や刺激を与えるのは自然と芸術」という指摘です。

 伺ったこの日は10月も終わりに近いというのに、まるで夏のような日射しとオフィス街に広がる青空。確かにオフィス街であっても、このように美しく広がる青い空やさんさんと注ぐ日射しのありがたさは、インスピレーションになりそうです。

 丸ビルのなかに展示された造形物、「さすがは藝大」と、しばし時の過ぎるのも忘れて作品に見入りました。特に私が心を惹かれたのが、「夜の獣」と題された等身大よりはるかに大きそうな、白いオオカミの彫像でした。

 この彫像をみて最近よくCNNで流されているコマーシャルを思い出しました。あるホテルチェーンのコマーシャルなのですが、吹雪のなか、積もり続ける雪に足をとられ、ついに雪原に力尽きて倒れこむ一人の旅人。その身体の上に容赦なく振り続ける雪。白銀の美しい世界なのですが、まさに旅人の命が雪のなかで凍えて尽きてしまうかと思われるときに、一頭、また一頭と現れるオオカミ。オオカミまで出てきて、もはや旅人は絶体絶命と思われたとき、一頭の白い立派な毛並みのオオカミがぴたりと倒れた旅人のうえに寄り添うのです。その体温で、冷えた身体が温められ、ゆっくりと目をあける旅人。

 そこにこのようにテロップが流れます。

 To embrace a stranger as one’s own. That is in our nature.
 見知らぬ者を身内とおなじに遇することが、身についています。

 と訳すことができるでしょうか。

 このことばは、まさに通訳の本質をあらわしています。異質なものとの橋渡しをして、困っている人を助ける、それこそが、ことばを仲介する者が精神として持っているべき本質であると思います。

 この気持ちがなかったら、いかに技術やテクニックが優れていても、気持ちを伝える通訳はできないでしょう。

 他者の気持ちがわかる心を養うためには、自然と芸術に広く触れて感性を育てることが肝要であると思います。オフィス街の代表的な街、最近ますますファッショナブルに進化しているこの街の一角で、さわやかな秋の青空のもと、日射しを浴びながらこんなことを考えました。

2011年11月1日
鶴田知佳子

原点に戻って


 危機にあってこそ人間の真価が問われる。外国メディアは略奪も暴動もおきない日本の美徳を称えています。しかし震災にあってすべてを失った人のことをおもい実際に何ができるのか。祈るしかないのか。何か自分に出来ることはないのか。

 命を失った方の前では贅沢な悩みながら、余震が続き計画停電や節電など震災のあとの生活上の不便さ、原発事故からの不安を抱えて生活しながら、何が出来るのかを考えていました。

 そんななか、本学の多言語多文化研究教育センターが17言語(その後カンボジア語が加わって18言語)による被災者支援サイトを立ち上げ、本学の教職員や卒業生、在校生のなかで翻訳の支援がはじまりました。そして今日、3月27日付産経新聞紙で報じられたこの記事にひとつの答えをみた思いがしました。少々長くなりますが、引用します。

原発事故 遅れた政府対応 外国メディアの誤解
対外発信力強化「英語で」  民間の動き活発化

 社団法人・日本英語交流連盟は先頃、日本語と英語のウェブサイト「日本からの意見」(JITOW)でエッティンガー欧州連合(EU)エネルギー委員が欧州議会で16日、「第一原発は制御不能、数時間内に爆発すると予測する」との趣旨の発言をしたことに抗議、駐日EU代表部大使宛ての公開書簡を載せた。

(中略)

 宮尾尊弘・筑波大名誉教授の「日本は原発危機も経済危機も乗り切れる」や沼田貞昭・元カナダ大使の「日本のしたたかさを信じよう」などすでに震災関連は6本がアップされ、今後も充実していく方針だ。 英、沼田両氏は政府にあって対外発信する外務報道官も務めた元外交官。英氏は当時から日本の対外発信力の弱さを痛感、退官後に「民間からも対外発信しよう」と日本英語交流連盟とJITOWを立ち上げた。 英氏は未曾有の災害とはいえ、外国公館と外国メディアという二つの重要な機関で今回、危機的瞬間に情報収集が限られたことの原因の根は深いと見る。

(中略)

 しかし、ならばなおさら日本自らによる発信の重要性は増す。政府はようやく英語の記者会見や首相官邸の定例会見に英語の同時通訳を始めたが、まだ見える部分で終始しているきらいがある。

 「世界を日本に、日本を世界に伝えるために」との思いを、昨年4月にこのサイトで書きました。このコースを運営するうえで私が心がけていることです。このコースで学んでいる皆さん、そして学びを終えた皆さんがこれから社会に巣立っていくなかにおいて、将来的に担っていける役割はまさに「対外発信力強化」のところにあるのではないでしょうか。

 日本のなかで情報がでていても、受け取る人がわかることばで伝えなければ、役に立つ情報とはいえません。日本人の被災者と同じように日本にきて被災した外国人は困っていたに違いないのです。また、今回の震災が外国にどうみえたのかについては、外国メディアの報道で日本の実際とは違うと思われるものがあったのであれば、はっきりと意見を言える人が発信をしていかなくてはなりません。

 たまたまですが、この記事に出てくる沼田貞昭先生は去年、本学での講演会にスピーカーとしておいでくださっています。また、卒業講演会にスピーカーとしておいでくださった永坂哲先生も、皆さんの出来るところから語学力を使ったボランティアをしていくことをすすめてくださいました。

 去年の卒業講演のスピーカーとしてきてくださったロジャー・パルバース先生の文章が3月20日付けのジャパンタイムズ紙に載っていました。タイトルはThis awful tragedy will show Japan’s true character to the world とあります。

 The Japanese are at their best in a crisis. They readily practice what is called jishuku (strict self-restraint). Luxury is not a right in a country whose culture is based on self-control and the values of reserve, disdain for excessifve self-assertion and paucity. This past week, we in Tokyo and the surrounding prefectures have been experiencing the first rolling blackouts since World War II. And yet you hear no complaints, only compliance.

 パルバース先生はこの記事で、宮沢賢治の翻訳で有名な方ですが、ご自分が日本で過ごした43年間に多くの時間を過ごした場所が今回の震災のいちばんの被害を受けたところであることを語り、当日東京で訪れていた政府関係の機関から都内の自宅までどのように帰ったかを語り、日本が必ず、この危機にあたって真価を発揮すると述べています。そして最後をこう締めくくります。

 The recovery from what is and will continue to be a series of very severe and tragic traumas now presents a test of the will and self-imposed control of the entire Japanese nation. How its citizens come through it will be a lesson, in turn, for the entire world.

 ここで日本が立ち直ることができれば、さらに日本は強くなれるでしょう。その中において私たち、通訳・翻訳を学んだものは何ができるのか。それは、世界の情報を日本に伝え、日本が発信せねばならない情報を発信することだと思います。必ずしも、公の情報として発信されている情報だけでは足らない場合も出てくるでしょう。そういうときに勇気をもって個人から発信していくことも必要になってくるでしょう。ソーシャルメディアの発達などで若い世代の皆さんが積極的に情報発信に参加できる機会も増えているのだと思います。私たちの智恵で何とか今回の文字通り未曾有の危機を乗り切っていければと切に願っています。

つらいときに何が出来るか。つらいときこそ、原点に戻るときであると思います。私たち、通訳・翻訳を学ぶものにとっては原点とは「(違う言語のものの間の)コミュニケーションを成立させること」にあります。この原点を忘れずに、一緒に勉強を続けていきましょう。卒業される皆さん、おめでとうございます。この原点を忘れずに、大変なときだからこそ自分に出来ることは大きい、と自信と希望を持って社会へ巣立っていってください。

2011年3月28日
鶴田知佳子

生への希求


 通訳者として歴史的なこの現場の中継を同時通訳できてよかった、と思うことがときどきあります。日本時間2月12日(アメリカ時間2月11日)ムバラク大統領の辞任のニュースを受けて、歓喜に沸くエジプトの首都カイロにあるタハリール広場からの記者の中継もまさにそういう瞬間でした。

 もともと「解放」を意味するこのタハリール広場で、ある詩が読み上げられたと伝えられました。英語に訳された詩は、あとで調べてわかりましたが、チュニジアの夭折の詩人、アブー・カースィム・アッシャーッビー(1909-1934)の「生への願い」(『生命の詩集』1955年刊より)からとられたものでした。

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If, one day, a people desires to live,
Then fate will answer their call.
And their night will then begin to fade,
And their chains break and fall.

-
 fate fade call fall と韻を踏んでいるのがわかります。

 しかし、同時通訳です。この訳文を調べているヒマはありませんでした。時間がないなか、どうやったら詩らしいリズムがでるか、伝えようとしている生希求の強い気持ちが伝わるか、それだけを考えて何回か推敲しました。

 まず、そのまま訳してみました。

-
ある日、人々が生きたいと望むのであれば
運命はその声にこたえるであろう
夜は消え去り、鎖は壊れて落ちる

-
 声に出してみてもリズムが出ないのは、日本語の詩であれば5、7、5、7、7調のように日本語らしい調子に整えられていないからではないか、と思い、このように変えてみました。ちなみに、英訳をしたイラクの詩人Sargon Boulusとイギリスの詩人Christopher Middletonは、最初の部分の人を"a people/the people"という集合名詞にするのか、個別の人の集りとなる"people"にするのか、悩んだそうです。

-
人が真に、生きたいと願うとき、
運命は、その声に応える
夜の闇は消え、くさりは壊れ、(人は)解たれる

-
 これだと、
6 5 5
5 5 4
8 7 5

 あまりバランスはよくないですが、最後のところは(人が)というのを読まないほうが、声に出してみたとき、終わりが引きしまると判断、結局この案を採用しました。あたまのところで「真に」と付け加えたのは、自分で口に出してみたとき、自然とこう付け加えていたのに気付いたからです。付加はゆるされるか、どうか。

 このように一箇所削除、一箇所付加、果たしてよかったのか、わかりません。Sargon Boulus Christopher Middleton が考えた結果、a people としているということは、ある民族が、としたほうがよかったと思います。しかし、民族がといってよく伝わるか、どうか。

 ちなみにあとで調べた訳はこうなっていました。

-
もしある日、人々が「生きたい」と願ったら
運命は応えてくれるだろう
夜は明け染める
手鎖は切れ落ちる

-
 最後のところがちょっと違うと思い別の英訳も調べました。

 Boulus/Middleton "Life's Will" の英訳ではこうなっていました。

-
When people choose
To live by life’s will,
Fate can do nothing but give in;
The night discards its veil,
All shackles are undone.

-
 最後のところはこれでみれば、手鎖、つまり手かせがはずれる、ということだとわかります。

 一度しか、音声で視聴者に伝えるチャンスはないので、その一回で聞いてもらってわかってもらえるか、どうか。有効なコミュニケーションを考えてみると、どちらがよいのか。

 しみじみと心にしみる詩ですが、どう訳したらよいのか、いまだ考え続けています。

2011年2月19日
鶴田知佳子

新年にあたって


 通訳をしていて何が楽しいことですか、とよく聞かれます。「普通であればあえない人と会えることでしょうか」とミーハーな私は答えることにしていますが、印象的な人の筆頭が、再びイギリスのプレミアリーグに戻るのではと取りざたされているスター選手のベッカム、中学生からのコーナーキックがうまくできるようになるためにはどうしたらよいのか、という質問への答えは忘れもしない、Practice, practice 「練習、練習」でした。

 これは通訳にも通じるところがあると思っていたら、ウサギ年の今年にふさわしい話題が1月4日の日経新聞、文化欄に載っていました。題して「跳ねる ウサギ医者」。斎藤久美子さんという獣医師の先生なのですが、あまりに頻繁にウサギを診てくださいと電話がかかってきて、その都度、相当に具合の悪い犬などの診療を中断して電話に「いえ、ウサギは診ないのです」と応対するのにある日、しびれをきらし、「やります」という一念発起。翻訳書を出版したことですっかりウサギの専門となり、こうなったという次のことばが私の目をひきました。

-
クライアントも口コミで増えていった。最近、ある学会でのこと。私の研究論文を読んだ米国の教授が驚いた。「どうして63ものウサギ梅毒の症例を集められたんだ」。私は少し得意げに答えたと思う。「当然よ。私は1日平均50匹を診ているのよ」 多くの症例を経験するほど、ひらめきの引き出しが増える。それでも初めて診る症例は、当然だが多い。

-
 私があれ、っと思ったのは「多くの症例を経験するほど、ひらめきの引き出しが増える」というところです。

 まさに上記の練習を積み重ねれば上達する、というスポーツの実践と会い通じるものがあります。スポーツにせよ、研究にせよ、基本は多くを経験しそのなかから何を自分なりに抽出できるのか、それが実務にせよ、研究にせよ、問われているという当たり前のことをみせられた思いがしました。

 もう一つ、愛読している日経新聞の引用をして新年に思ったことを書きましょう。こちらは1月5日付日経新聞の29面、「ゼミナール 集中講義 市場を考える」強者の横取り、生産性低下招く、からです。

 『さるかに合戦』を例に引いて、強者の横取りが幅を利かせる自然状態では、協力関係の構築が難しくて、まさに弱肉強食となる、17世紀の哲学者トマス・ホッブスは秩序維持のためには王権を強化する必要があると説いたことをあげています。そういえば、カニはせっせと猿が食べて吐き出した柿の種を植えて水をやり、ようやく柿のみがなったところ、柿がとれないので猿にとってもらおうとすると、猿は自分だけ食べてカニに熟していない柿を投げつけて殺してしまう、という理不尽な前半の話の展開。そのあと、カニの子どもたちがぞろぞろと倒れたカニの身体から出てきて、栗、石臼、棒、牛ふんと共同戦線をはって首尾よく猿を退治するという結末に至るのでした。ゼミナールを執筆している東京大学の松井彰彦教授は次のように結論づけます。

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それにしても猿は浅知恵だった (中略) あだ討ちされてしまうくらいなら、カニから少しだけ分け前をもらうことで満足すべきであった。一方でホッブズも『さるかに合戦』を読んでいたら、王権の強化だけが唯一の答えでないことに気づいたかもしれない。『さるかに合戦』、恐るべし。

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 結局は、努力したものが分け前を得るのが当然の社会と私たちは考えたいですが、自然状態においては必ずしもそうなってはいない。文明社会において知的な力で生きていくことができる世の中になっていればこそ、高度専門職業人も、利用だけされるのではなくて自分の技術を活かせるというもの。やはり世の中の秩序のなかで技術を磨いて、技術があるものはそれ相応の分け前にあずかれるというのは、人間の智恵があってこそ、築かれてきた貴重な社会なのだと当たり前のことを再確認しました。

 自らの才覚で豊かな生活をするためには、技術を身に付ける間に守られて生活がなりたつようでなかったら才能は育ちません。横取りされるのが当たり前の社会であれば、手間ひまかけて育ててもそれを自分の果実として手に入れられないのであれば、英語で言うところのlow hanging fruit すぐに手を伸ばせば取れる果物ばかりとる、すなわち、「簡単なことしかやらない」ということになってしまいます。しかし、それでは才能も伸びませんし、生産性をあげることもできません。

 社会が公平に、才能あるものがそれを伸ばせるようであり、力の強いものだけが得をするのではないような社会であるためには、秩序が必要なのです。少なくとも現在の日本では社会が安定して秩序が保たれています。せっかくこういう良い環境におかれているのですから、できる限り、生産性の高い世の中の役に立つような人材になれるために、庇護下にあって技能を磨くことが出来る環境にあるときにこそ、しっかりと努力をしたいものであると思います。

2011年1月7日
鶴田知佳子

本当の意味で力をつけるとは


 通訳をしているとジーンと心にしみることばを聴くときがあります。そういうときは、会議通訳においても放送通訳においても、本当に通訳をしていて良かったと思います。たとえ、自分の限界を感じて悩みを抱えているときであっても、こういう心を揺さぶられるような瞬間を体験するとき、この感動することばを違うことばに転換して伝えていく仕事の楽しさを実感して、この仕事をもっともっとしていたいと強く思います。

 9日、CBSイブニングニュースの放送通訳のときにこういうときが訪れました。別にこれは特別に世界を揺るがすような大きなニュースを通訳していたときではありません。突発ニュースというわけでもありません。かつて、この突発ニュースに特別のやりがいだと感じていたときもありましたが、かなり年齢を経てきた今はむしろ、じんわりと心に染み渡るようなニュースを通訳するときにやりがいを感じます。トップにきた項目はアメリカ国内でアメリカ人に帰化したニカラグア出身の人物がFBI(連邦捜査局)のおとり捜査で阻止されたというもの。そして、2番目は、例の話題をふりまいているウィキリークスの創設者アサーンジ氏の支持者が、大手カード会社にサイバー攻撃をしかけたということでした。

 ジーンと感動したニュースは、エリザベス・エドワーズさんに関するニュースです。亡くなる前にすでに末期の乳がんであるとわかっていて、あと何年も生きることはできないと本人は知っていました。16歳の息子を自動車事故で亡くしたときに、夫のジョン・エドワーズさんともども弁護士として活動していたエリザベス夫人はきっぱりと弁護士をやめました。そのときから夫は政界に入り、あらためて年の離れた子どもを2人産みました。そのため、亡くなったときに夫人の傍らにいたのは28歳の娘さん、それに12歳と10歳のまだ小さい子たちでした。不倫のために別居することになったジョン・エドワーズ氏、選挙運動員であった不倫相手との間に最初は否定していたものの、子どもが生まれていたことが発覚して別れましたが、死に際しては夫、子どもたち、それに親しい友人に囲まれて、安らかにこの世を去ったとのことでした。

 感動した夫人のことばは、すでに3年前にインタビュアーに夫人が語ったことばです。自分がこの世を去る日が遠からぬことを知っていた夫人が一番に望んだのは、子どもたちが普通どおりに日々を送ることでした。まだ幼い子たちは、毎日学校に行き、寝る前はお休みといい、朝おきたらおはようという、平凡な毎日を送る、ごく普通の生活を夫人は望みました。そして、子どもたちに何を伝えたいかと聞かれたときの答えがこれです。

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I've often said that the most important thing you can give your children are wings- cause you're not always going to be able to bring food to the nest. Sometimes they're going to have to be able to fly by themselves.

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 子どもたちには翼を得てほしい、常に親がそばにいて、巣にエサを運んでやれるのではないのですから。

 ここは、涙を流しそうになりながら訳しました。これこそが大切、とぐっと胸に詰まるものがありました。

 私も子を持つ親でもありますが、このことばは教師として学生に望むことでもあります。「これをしなさい、あれもしなさい」と、ことばではいくらでも言うことはできても、助言をできることには限りがあります。こんなふうに巣(教室)にエサ(助言)をいつまでも運んでいるわけにはいきません。いつかは、ヒナ(学生)は巣立ちを迎えねばなりません。

 日曜の夜にNHK総合テレビでやっている「ダーウィンが来た」という番組は私の好きな番組のひとつですが、先日ここで鷹の巣立ちをおさめた映像をみました。本当に貪欲にエサをたくさん食べるヒナに、親鳥はせっせと一生懸命にエサを運び続けますが、いつまでもそれは続きません。いつか、大きな空に向かって飛び立ちます。自力で飛べる、力強い翼を鍛えていく、これこそが教育でできることではないかと思います。

 9日のCBSイブニングニュースでは、感動するニュースがあと2つありました。ジョン・レノン氏の死から30年、亡くなる3日前のカセットテープに収録した本人の音声が、戸棚の奥から見つかったということで、そこに語られていたことばの一端が紹介されていました。私が感動したのは、「人間が上り坂のときにメディアはインタビューを求めるが、下り坂のときはこない。しかし自分は歌で、またことばで率直に語るのみ。それ以上でもそれ以下でもない」というものです。権力におもねらない氏の実直な人柄がよくあらわれていると思いました。

 もう1つが、NFLのスーパーボールに誘われたのに出場を断った人の話。

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He'd rather take the train rather than fly with the Jets.

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 これは、ことば遊びなのでちょっと解説が必要ですが、Jets が誘いをかけてくれたのに、身障者の父親を抱えているこの学生は、一生に一度のチャンスをものにするのではなくて、インターンとして勤めている鉄道会社の仕事を優先した、というお話です。ジェッツとともに活躍する機会ではなく、鉄道の仕事を選んだ、という意味でした。

 人間の生き方とはどうあるべきか。通訳をしていると、人生のいろいろな場面、争いや交渉の場にたちあうことも多々ありますが、この日は放送の同時通訳ブースのなかで、それぞれに人生の中の劇的な場面に際してどのような行動を人間がとるものなのか、を垣間見ることができました。3人のまったく違った立場の人達が、アメリカのそれぞれの立場において、何を想っていたのか。そのことばを伝えることができ、様々に考えさせられ、想うところがありました。

2010年12月14日
鶴田知佳子

日本には頭脳しかない

 今日、夜の11時過ぎに携帯がなり、ちょうどもう少しで家のそばの駅に着くところでした。ノーベル化学賞の受賞の記念記者会見同時通訳の仕事があるから、すぐにあるテレビ局にきてくれと言う電話でした。ほんの一瞬躊躇しましたが、もちろん「やります」と返事して一度家に帰りましたが、家族の顔をみてすぐテレビ局へ。

 どういう受賞理由か、どういう人かも分からなかったのですが、素晴らしい内容の記者会見でした。根岸英一博士。アメリカにフルブライト奨学生としてわたり、ちょうど私がアメリカに最初に行って小学生時代を過ごしているときに、博士課程に在籍されていらっしゃったことがわかりましたが、印象的だったお話は、
「夢を持つこと。夢があれば、自分のように50年もそれに向かっていけば必ず社会に貢献をすることができる。ノーベル賞をとろうと思って自分はやってきたのではない。結果としてついてきたことだ。夢をもつこと、それが大事。団栗の実から大きな樫の木が茂る。小さな団栗の実が落ちていても誰も気にも留めない。しかし、大きな樫の木に育てばいつか、きっと認められるときが来る」
というお話で、感動しました。

 夜中の1時少し前に仕事をやり終えてテレビ局でタクシーを待っていると、番組の関係者の方が「素晴らしい同時通訳でした」と声をかけてくださいました。満足のうちに帰宅。このように、日本にとっても誇らしい場面に立ち会えるときコミュニケーターとしての喜びを感じます。

 仕事を引き受けてから、すぐにタクシーを手配しようとしたのですが「20分待ってください」といわれたので、結局電車でかけつけ、記者会見の開始予定時間の15分前に同時通訳ブースに入るというきわめてタイトなスケジュールであったうえ、「ノーベル賞受賞の記者会見通訳」としか聞いていなかったので、誰がどういう業績で受賞したかも何も知らず、ともかくテレビ局に到着。着いてすぐ、お願いしたのは「何でもよいですから資料を出してください」ということでした。

 担当の方が出してくださったのが、日本経済新聞のWeb版。特報18:50「ノーベル化学賞に鈴木章・根岸英一氏」という見出しで、関連記事「新合成反応、30年経て脚光―有機ELや医薬、日本の技術貢献(日曜版)2009/8/16付という記事で、「クロスカップリング」という反応について解説したもの。あと、英語でThe Nobel Prize in Chemistry 2010 Richard F. Heck, Ei-ichi Negishi, Akira Suzuki The Nobel Prize in Chemistry 2010 Prize motivation: ‘for palladium-catalyzed cross couplings in organic synthesis’ とタイトルがついたものを出してくださいました。

 限られた時間で、ほぼ頼りになるのは日経新聞の記事だけ。これだけを読んで準備をしましたが、日経新聞の解説は本当にわかりやすいもので、さすがに産業部の蓄積がある新聞の強みを感じました。

 翌朝の新聞各紙をみても、やはり日経新聞が見出しに「有機合成で革新手法」と端的でわかりやすい見出しがついていたのが印象的でした。

 また、もうひとつ印象に残ったのが、鈴木章氏のことば。「日本には頭脳しかない」ということばです。これは産経新聞が大きく見出しとして使っていました。昨日、テレビ局についたときにすでに鈴木章氏のインタビューがはじまっていて、テレビ画面に映し出されていたので、明日の朝刊でこの人のことばを読もうと思っていたのですが、まさに私が日ごろ感じていることを端的に表すことばです。

 「大学の先生はみなさん、社会に貢献する仕事をしたいと考えている。でもなかなか思うようにはできないものです。そういう意味で、私は非常にラッキーだったと思う

 このことばを聴いてまず思うのは、なにごともそうですが偉業を成し遂げた人は常に謙虚で控えめであるということ、そして自分の仕事に心底惚れ込んでいるというすがすがしさです。好きな仕事を通じて社会に貢献できる。やはり人生の喜びはそれに尽きるように思います。

2010年10月7日
鶴田知佳子

固有名詞の訳出

 このところ、日本語についてのテレビ番組がブームのようで、日本語を題材にしたクイズもあれば、ドラマもあります。そのうちの一つが、外国人にインタビューして日本語について、何が難しいかを問うたものがありましたが、第三位が敬語、第二位が(和製英語、省略語も含む)カタカナ語、第一位が同音異語でした。よくいうことですが、通訳についての勉強は何も無駄になることがない、テレビをみていても、街中を歩いていても勉強になります。発せられていることばをどう訳出しようか、と考えてみるとなるほど、これは外国人はどういう意味か理解不能であろうと思われる日本語が看板になって表れることもあります。例えば、我が家のそばの駅前の建物。Tamagawa Bld と大きく略して書いてあるのですが、Bld これ、ふつうにみたらBoulevard の略か、と思うのではないでしょうか。Buildingだったら、 Bldgと略すのではないか。近くに住んでいる人だったら、見慣れているし、これは建物の略だとすぐわかるけど、文章に書いてあったら何かわかるかしら、などと駅前の踏み切りでぼんやり建物を眺めつつ思いました。

 知っていればなんということはない、仲間内ならすぐに何を指しているのかわかる。それは英語でも同様です。8月13日にCNNj で放送されたbedbug についてのリポート。リードはこんな具合に始まりました。

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Let’s go to New York right now. It’s known as the city that never sleeps, but apparently that has not stopped bedbugs from infesting the city.
今日はニューヨークからの報告です。ニューヨークは決して眠らない町として知られますが、だからといってbedbug が蔓延するのを防げませんでした。
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 ということですが、さてこのbedbug をなんというか。

 しかも、この数年ニューヨークに広がっていて、タイムワーナーセンターというCNNのオフィスも入っている建物や、ほかの有名な場所にも広がっているそうなのです。さらに、同時通訳をしている私に気になる情報が次にこのように入ってきました。

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Consider them the vampire of insects and creeping out a lot of people and dogs like Champ here very busy in New York.
これは昆虫のなかのいわば吸血鬼、多くの人に恐怖を与え、チャンプのような犬をここニューヨークで大忙しにさせています。
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 え、なんで犬が関係あるの?と思うと、そのあとこうなりました。

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Bees are the buzzword for bedbug at the pest control company Champ works for.
チャンプが働いている害虫駆除会社では、これはビーズとよばれています。
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 要するに、bedbug とb ではじまる単語が二つ連なっているところからこのように呼ばれているのでしょう。

 ここまでは、「この虫は」とか「この害虫は」と、名前をいわずに済ませて何とか、同時通訳をしていましたが、ここまでくると固有名詞を言わずにはすみません。

 bedbug を辞書で調べると、「トコジラミ」「南京虫」の両方が出ています。この場合、どちらを使おうか。とっさに、南京というとこの地名に関係する人が不愉快に思うのではないか、と思い「トコジラミ」にしました。たとえば、全然別の害虫が異常発生したとして、それに「東京虫」という名前がついたとしたら、私たち東京の人はきわめて不快に思うでしょう。放送は誰が聞いているかわからないですので、それは避けることにしました。

 その次にでてくるbees も、ハチとのかけことばでこのように言っているのかもしれませんが、これもそこまでは仕方ない、一応音で「ビーズと呼ばれる」とそのままに残しました。

 それにしても、チャンプくんのように活躍している働く犬をみると感心します。なんでも、トコジラミのにおいをかぎつけて教えるので、どこを駆除処理すればよいのか、場所を特定するのがとても効率よくできるのだそうです。チャンプくんを使っている駆除会社の人いわく、「かつては5年に一度トコジラミ駆除の注文がある程度だったのに、いまでは一日に平均75回、トコジラミ駆除の電話がかかってくる」と、相当の蔓延ぶりのようでした。何でも、フィフスアベニューにある有名な百貨店、バーグドーフ・グッドマンもトコジラミ警戒のために犬を置くことにしたのだとか。

 このように名詞のなかで固有の地名がはいっているようなものはどう通訳すればよいのか、迷うことがありますが、固有名詞の場合、発音をどうするのかが本当に迷う場合があります。

 全英オープンゴルフ2010で優勝した南アフリカ出身のOosthuizen 選手、もともとはオランダの名前のようですが、最初にスポーツニュースで出たとき、どう発音したものか、迷いました。ウーストフイゼン、それともウーストハイゼン?最初は、このどちらにしようかと迷ったのですが、そのあとも各放送局や新聞社のサイトをみても、ウェストハウゼン、ウェストへーゼン、ウーストハウゼン、とさまざまでした。結局、このように意見が割れている場合には、そのときに仕事をしている放送局でどのように発音しているか、それを調べてその局の方針にあわせるしか、ないです。しかし、初出の場合にはなるべく現地の読み方であったらどう読むだろうか、と想像力を働かせて発音するのが無難であろうと思います。

 もう一つ、今年迷った読み方が前にこのコラムでもとりあげたBP会長のSvenberg さん。スウェーデンのご出身だということで、スウェーデン語の読みをとりいれているのか、各メディアで「スベンベリ」としているところがいちばん多かったようでした。しかし、イギリスの会社BPの会長として、イギリスで活動しているのですからイギリスの人が発音しているように読むのでよいのでは、という解釈も成り立ちます。そうであれば「スベンバーグ」。このときも、結局は仕事をしている放送局がどう発音しているのか、それを調べて対応したのでした。

 ということで、冒頭で出した外国人が難しいと思う日本語、になぞらえて全く恣意的ですが私がランキングをつくるとしたら、こうなります。第三位が略語、第二位が動植物の名前、第一位が固有名詞。毎日、あらたなニュースが出てくるたびに、日本語ではどういっているのか、それと対応するニュースも気になります。

2010年8月23日
鶴田知佳子

上達に必要なこと

 サッカーのワールドカップのときには占いタコ、パウルくんが大人気となりましたが、僅差の戦いが予想されていたオーストラリアの選挙では占いワニ、ハリーくんが話題になりました。何でもワールドカップの優勝戦の対戦もすでに正確に当てた実績があるそうですが、CNNでこのワニのことを伝えたニュースキャスターも、「念力があるのか(psychic)、ただお腹がすいているだけなのか(hungry)、おそらく後者だと思うけど現職が勝つとの予想です」と、半信半疑で伝えていました。しかしこういうニュースがあると、つい果たして当たるだろうかと身を乗り出します。結局、将来はどうなるか分からないから面白いとはいうものの、未来がどうなるのか、本当のところを知りたいとの気持ちになるからだと思います。

 果たして一生懸命勉強して努力が報われるのか。結果がでるのか。そんな気持ちになったことは、数知れずあります。そんな自分の子どもの頃を思い出すような、ほのぼのとした気持ちになるリポートが、ABCワールドニュースのサイトに載っていました。「Study: Reading to Dogs Helps Children Learn to Read」というタイトルの、本年8月18日付のものです。

 カリフォルニア大学デービス校の研究者の調べた結果によると、Scholastic という児童図書の出版社があみだした方法です。「本を読むのが上手になるには、何度も何度も練習が必要。練習をして間違いをするといたたまれない気持ちになるけど、犬を前にして練習しているなら気にしない」なので、犬を聞き手にして子どもが本を読む練習をさせるとのこと。10週間のプログラムの中で、犬を相手に読む練習をした子のほうが、犬を相手にしなかった子と比べて、読むスキルが12パーセント向上したそうです。

 一生懸命聞いてくれる犬がいるから、練習する気持ちになれるからではないか、とリポーターは伝えています。

 これを読んで思いました。聞いてくれる友達にリラックスした気持ちで読む、間違っていると笑うことはしないのが犬、その相手に熱意をもって一生懸命に自信をもって取り組む、enthusiastic、engaged、confident。単純なようですが、なにごとも上達するにはそれがいちばんではないか。そのために、条件を整えてくれる手段として、犬というのもあり得るのですね。あらためて犬はなんと健気で一途なのだろうと感じました。

2010年8月23日
鶴田知佳子

野次馬根性とgood

 4月18日に学生へのメッセージとして「世界を日本に、日本を世界に」を出しましたが、そのなかで次のように述べていました。

 世の中の動きに興味がもてる、ということでしょう。関心があれば、さらにものごとへの理解を深めようとして自分から本を読んだり他の人の話を聞いたりして、さらに追求したいと思えます。興味が持てるというのは、その突かかりとなるようなきっかけを自分の中に豊富に持っているかどうかにも関わります。ことばへのこだわりにしても、表現力もさることながら自分のことばで語れるだけのものを自分の中に蓄積しているのか、が問われます。

 昨日の朝と今日の朝とで、まさにそのことを地でいくような経験をしました。
 昨日の朝、いつものように松涛を抜けて放送局へと急ぐ私。幼稚園の斜め前のいつも警備員さんがたっているお宅の前に、カメラをかまえた人たちがおしかけています。入梅した直後で小雨が降っているなか、カラフルなポロシャツ姿の人もいれば、スーツ姿の人もいますが、どうみてもマスコミ。はて、ここは誰か政治家のうちだっただろうか、などと考えていると、今日はここにお目当ての人物が姿をあらわすのか確証が得られないからなのか、携帯で忙しそうに連絡をとっている人たちもいます。角を曲がったところには、取材用の車両らしいバンも止まっている。誰か、話題の人物には違いないがはて、誰だろうと疑問に思いながら某放送局到着。

 すると、そこは国際報道の現場のニュースを扱う部署。すっかり頭はアメリカのニュースにスイッチ。大体なにがあっても、最初の話題は原油流出事故で多い昨今、昨日もやはりそうでした。オバマ大統領が東部時間8時、日本時間朝9時に大統領執務室から演説をするというのが大きな話題。野次馬根性旺盛な私もすっかり頭が切り替わりました。

 結局昨日はここまで。今朝も早朝の犬の散歩をしてから、放送局へ。いつものように新聞各紙に目を通す。新聞5紙のうちの2紙に詳しくでていたので、昨日の松涛の謎が解けました。ある記事の写真にはくだんのしょっちゅう前を通っている松涛の豪邸が写っていました。16日の午前10時少し前のこと、という但し書きまでありました。商工ローンの大手の元社長が、警視庁の捜査員に任意同行を求められ、捜査車両に乗り込んだ、とあります。この元社長は、複雑な資金操作を繰り返し、目指すは「ロスチャイルドのような国際的な大富豪」だったそうです。これで謎が解けてすっきりと一日をスタートできました。

 今日は、まず昨日の朝予告されていたオバマ大統領の動向から。被災地を視察して、BP会長と会談をおこない、ホワイトハウスの執務室から演説を行って国民向けに事態の収拾をはかりました。今日もおおいに気になったのがどうやってgoodや small といった基本単語を訳出するか、でした。

 例をみましょう。
 まず6月17日朝、CBSイブニングニュースからの例を出します。

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Today was a good start.
This should provide some assurance to small business owners.
今日はよいスタートでした。
これで小規模事業経営者にいくぶん、安心感を与えるでしょう。
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 ……というのが、そのままの置き換え訳ですが、品詞の転換をしてみると大分日本語らしい言い方にできるでしょう。

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今日から本格的な取り組みを開始しました。
小規模自営業の皆さんに多少なりともご安心いただきたく思います。
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 CBSイブニングニュースの例を続けます。
 6月16日は、またBPスバンバーグ会長(スウェーデン人)が失言したこともニュースになっていました。

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We care about the small people.
小市民のことを気にかけている。
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 英語ネイティブでないからこんな発言になったのか、という報道も一部でありましたが、この置き換え訳では、よく意味がわかりません。

 同時通訳でしたからどう訳出しようかと思いましたが、とっさに口をついて出たのはこれでした。

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一般の方のことを懸念しています。
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 これでよかったのか、どうかはわかりませんが、いわんとしたのは特別の地位のある人、利権のある人、ではなくて、普通の人たちということだったのではないでしょうか。

 同時通訳をしている最中に、全然関係ないことが頭に浮かんで困ることがあります。このときも、ぼやっと「1Q84 」に出てきたのはリトルピープルだったけどなあ」と思い出していました。こんなことを考えている場合ではないのですが。

 CBSイブニングニュース、さらに例を続けましょう。
 最後の明るい話題で出てきたことです。
 Boom town というタイトル。これは、景気のブームとオイルフェンスを意味するブームという単語が同じであることからきています。

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The city of Massillon, Ohio, is giving new meaning to the phrase "boom town."
オハイオ州マシロンの町は、「ブームタウン」という言い方に新たな意味を与えました。
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 と、訳すことはできますがこれで意味が通じるでしょうか。  結局、かけことばはあきらめて、次のように説明するしかないかもしれません。

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オハイオ州マシロンの町は、被害にあっている湾岸のために「ブーム」と呼ばれるオイルフェンスをつくることで、ブームにわいています。
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 この町は失業率が高く雇用を与えられることは町民にとても有難いのですが、人の不幸につけこんで利益を得ている、という批判にどうこたえるのか。答えです。

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There’s a good door and bad door.
This is the good door.
いいドア、悪いドアがあります。
これはいいドアです。
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 というのが直訳。言わんとするのは、以下のことか。

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苦境の脱出には良い、悪い、両方のやりかたがありますが、これは良いやりかたです。
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 さらにこのリポートはこう締めくくられました。

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And along with the booms they're producing at least some good news, too.
彼らはブームと並んで、多少のよいニュースも生み出しています。
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 言わんとするのはこうでしょうか。

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この町はオイルフェンスをつくるだけでなく、明るい話題を提供しています。
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 さらにもう一つ違う番組からのgood の例。
 6月17日放送、ABCのニュース番組、ナイトラインから。
 かつて、コメディーで有名になった女優さん、しばらくお休みしていましたが、また注目されることになりました。

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Sometimes good things just happen.
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 直訳です。  時にはよいことがおきるものだ。  言わんとすることを考えてみたらこういうことでしょうか。

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ときには予期せぬ幸運が訪れます。
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 と、今日もgood ひとつにいろいろと工夫をこらしながらの一日でした。

 通訳者には多少の野次馬根性があれば、ほかのニュースで報道されていることに対して愛着をもち、どうしたら少しでもうまく伝わるのか、という智恵を絞る気持ちになれるでしょう。野次馬根性は必須条件、とまではいいませんが、興味をもてるようになるには自分のなかにとっかかりを持つ、今回の記事のようなことにつながることは確かです。

2010年6月17日
鶴田知佳子


世界を日本に、日本を世界に

 高度専門職業人である通訳者の役割とは何か。学生をあずかり通訳者として養成する上で常にその答えを考えながら日々、仕事をしていますが、2010年4月10日の日本経済新聞一面左に出た記事をみて、思わずひざを打ちました。中国で「加藤現象」とさえ呼ばれているという弱冠25歳ながら、中国のメディアが日本についての情報と言うと、必ず意見を聞きに来るという日本から中国への留学生です。この人がなぜ、それほど中国でもてはやされているのか、詳しくはこの記事を読んでいただくとして、国際人であるポイント、それは通訳にも通じるポイントなのですが、5つあると思います。


 1. 世界を日本に伝える、あるいは日本を世界に伝える使命感をもっている
 2. 世界を知りたい、同時に日本を世界に伝えるためによりよく知りたいという意欲をもっている
 3. そのために、現地のことばを学んで現地のことばで語り、現地のことばで情報を入手するのが重要であると思っている
 4. 情報を得る場合に柔軟な態度で他の人の言葉に耳を傾ける
 5. 権威のあるところが発信している情報だからと言って鵜呑みにしない

 さらにこのことを要約すると、4月16日に本学でご講演くださった江口NHKバイリンガルセンター長のNHK外信部記者としての要件にふれた講演内容とも共通するところがあるのですが、次の2点に集約されます。


 1. 知識を得ることの重要性
 2. ことばへのこだわり

 その前提として体力がある、というのも共通点です。気力も重要ですが、自分の意志を実行に移すには行動するための体力でないとつとまりません。

 もう一つ前提としてあげたいのは知識を得ようとする、あるいはことばへ拘り続けることができる前提として、世の中の動きに興味がもてる、ということでしょう。関心があれば、さらにものごとへの理解を深めようとして自分から本を読んだり他の人の話を聞いたりして、さらに追求したいと思えます。興味が持てるというのは、その突かかりとなるようなきっかけを自分の中に豊富に持っているかどうかにも関わります。ことばへのこだわりにしても、表現力もさることながら自分のことばで語れるだけのものを自分の中に蓄積しているのか、が問われます。知識を蓄えたいという欲求、があってこそ自分の言葉で語れることにつながりますので、この二つは密接に連携しています。

 将来、通訳者として発話者の語る内容の意味を理解して自分のことばで伝えられるようになるために、大学で鍛えるべき能力とは、自分の血となり肉となる知識を蓄えようとする、あくなき探究心ではないかと思います。

 このコースで勉強するみなさんには、世界の情報を日本に伝える一助となってほしいと思いますが、それだけではなくて日本の情報を世界に伝える大きな力になってほしいと願っています。

2010年4月18日
鶴田知佳子


外語大的なるもの

 東京外国語大学に移ってから早くも6年が過ぎ、7回目の春を迎えています。  特化コース誕生とともに東京外国語大学での私の生活はスタートしました。  2004年4月1日に着任してから4回にわたり修士課程修了生、特化一期生と特化二期生を送り出し感無量です。これからはウェブページで交流ができる場をつくり、同じ場で学んだものとしての共通体験をベースに、ここで学んできた通訳という分野についての情報交換をしていけたらと思っています。

 自分がここに至るまでには様々な人の世話になっている、という思いは、3月にコロンビア大学ビジネススクールのアラムナイ担当者が訪問したときに、あらためて強く持ちました。伝統として、anniversary 卒業して何年、という節目の年にあたる卒業生を朝食会に招待してくださったのです。が、そう言われてビックリしたのですが、卒業してなんと30年でした。ニューヨークの116丁目の地下鉄駅を出て、ギリシャ彫刻のような彫像が並ぶ門に圧倒されたあの冬の日から考えたら、32年が経過しています。コロンビア大学はいくつもの分野でノーベル賞受賞者も何人も輩出し、すぐれた研究教育業績を誇っていますが、卒業生とのネットワークを大事にするという点でも力をいれている、と今回の担当者訪問で再認識しました。

 この件をきっかけとして、コロンビアの卒業生のイメージとはどういうものなのか、あらためて考えてみました。コロンビア全体としては excellence を打ち出しています。ビジネススクールのアラムナイ担当者は、どのサーベイでもトップ10のビジネススクールに入っているのは、コロンビアだけだと胸を張っていました。ただ、最近の現象としていまひとつ元気になれない理由は、卒業生を多く雇用してきた金融業が元気がないため、就職がふるわず、今ではなんと年間学費と生活費で7万5千ドルかかるというビジネススクール(つまり卒業まで2年ではこの倍)に通っても、いまだに去年10月の卒業式から就職できずにいる人もあるというのが残念な点です。

 去年出たばかりの卒業生の人と話をすることができました。そのときにつくづく思ったのですが、何周年記念かという卒業の折に集まってきた人たちで私のように卒業して30年が二人、15年が二人、卒業したばかりが二人いたのですが、ちょうど日本と海外の関係を比べてみて、外国で生活することに対する日本人の思いが、大きく変化してきたときだと思いました。

 ◆ 30年前 日本からみたNYの生活 → 日本よりもよい生活ができる
 ◆ 15年前 日本とNYの生活は同じ程度
 ◆ 1年前 日本で生活したほうがNYにいくより安全で気楽 
と、日本が豊かになり海外に「雄飛」することのメリットが大きく感じられなくなった、それがこの30年の動きだったように思います。

 さて、それではひるがえって6年間私がみてきた外語大はどうか。
 外語大的なるものは何か。
 一般からみた東京外国語大学のイメージ。

◆ 外国語が上手な人の集まり。
◆ 国際性が強い。  (体験授業でよせられたメッセージより)
◆ 学長のメッセージ。「異文化の媒介者」
   (通訳シンポジウム「世界の大学・大学院における通訳者養成」の挨拶より)

 本学の目的。「21世紀の地球社会と対話し行動する」
 目的を一言でいうと学則の最初にあることにつきるでしょう。


東京外国語大学は、
世界の言語とそれを基底とする文化一般につき、
理論と実際にわたり研究教授し、
国際的な活動をするために必要な高い教養を与え、
言語を通して世界の諸地域に関する理解を深めることを目的としています。

- 学則第1条より


 確かに、外国は格安航空券の登場もありどんどん気軽に行けるところとなりました。情報もずっと手軽にはいるようになったとはいえ、実際に現地にいってみないとわからないことは多くあります。いわゆる先進地域ではないところにも進んでいくような気構えをもった外語大生も多くいます。頭で言語と文化を研究するだけでなく、現実の地球社会と心で対話し行動すること。本当の理解はそこから始まります。それが外語大の良さであると思います。日本全体の傾向として、日本が楽に生活できるような国であること、何も外国に行って苦労することはない、と内向きに固まるのではなく、どんどん広い世界に出て行って新しいことを知って欲しい。そして何よりもそれを喜びとするようであって欲しい。外語大的なるもの、の鍵はそこにあるように思います。

2010年4月4日
鶴田知佳子